春の気配・小春の気配そして震災
春が来てこの町もかなり温かくなってきた。
少し前までは家の中のあちこちに小春がいる気配がしていたのに、最近はそれもあまり感じないような・・・
小春も何かを感じ取って虹のむこう側に行ったんだろうか?
お母さんも以前は小春の遺骨に話しかけたりしては泣いていたけど、近頃はやっと泣かずに小春の写真を見ている事もあるんだ。
小春の気配がしなくなって少し寂しい気もするけれど、いつまでも引きずってもいられないし、それはそれで仕方がない事かもしれない。
そうして落ち着きを取り戻してきた我が家でも、先月東日本大地震が起きた時は、丸一日停電して状況がすぐには分からなかったけど、あの悲惨な状況が分かるにつれて驚きと悲しみで胸がつぶれそうだと、お母さんはあれから毎日のように報道を目にしてはまた涙を流している。
せっかく小春の悲しみから立ち直りかけていたのに、今度は大災害の状況に胸を痛めているんだ。
お母さん達はこの町に引っ越してくる前は、岩手や宮城にも住んでいて、岩手三陸の町も宮城の町もたくさん訪れた事があるし、今も沢山の友人が暮らしているらしい。
初めて行ったハワイは仙台空港から行ったらしいし、お兄ちゃん達が遠足やスポ少の大会で行った宮城や福島の町がテレビに出たり、通っていた小学校は津波の避難所になっているのが新聞に載ったり、お母さんはそんな記事を読みながらまた涙を流していた。
「今あの町に住んでいたら、私達も小学校の避難所にいたのかな?」
大地震が来るとは思っていたけど、こんなに酷い災害が起こるなんて、想像できなかったって言ってるお母さん。
こんなにも多くの人達が亡くなって、生き延びた人達も悲しみと不安に苛まれているのだろうと、お母さんには他人事のようには思えないらしい。
亡くなった人の名簿を毎日見ていたお母さんは、最近は見ないようになった。
精神的に消耗するからもう止めて、今は自分が元気になってできる事をしようと思うんだって。
「その為にもアナタ達が私の心を癒してちょうだいね」って言われた。
まあ特に何かしなくても傍にいるだけでいいんだから、別に難しい事じゃあない。
ボクだってお母さん達と離れ離れになるなんて考えられない。小春の分もボク達はお母さんが泣かずに済むよう、ずっと傍にいて過ごすんだ。